< 目次 >
(1)東インド会社とは
(2)貿易の良し悪し
(3)貿易の仕組みの基礎

(1)東インド会社とは

 “東インド会社”という言葉は、義務教育や高等教育で学習した言葉でしょう。特に歴史の授業で、大航海時代、ヨーロッパの国々がアジアとの貿易のために作った会社などという説明を聞いたことかと思います。確かにそういう言い方もできるかと思いますが、中には、ヨーロッパの国々がアジアを植民地にするために作った会社などという説明が書かれている教科書もあります。このテーマでは、そのところの事実関係を明らかにしたいと思いますが、まずは“東インド会社”の説明を見てみましょう。

東インド会社
東インド会社(ひがしインドがいしゃ、とうインドがいしゃ)は、アジア地域との貿易独占権を与えられた特許会社。重商主義帝国下、特に貿易差額主義に基づく経済活動に極めて大きな役割を果たした。なお、ここで言う「インド」とはヨーロッパ、地中海沿岸地方以外の地域をさす。同様の特許会社に新世界との交易を行った西インド会社がある。各国ごとに設立され、以下のようなものがある。オランダ東インド会社は世界初の株式会社としても有名である。
  • イギリス東インド会社
  • オランダ東インド会社
  • スウェーデン東インド会社
  • デンマーク東インド会社
  • フランス東インド会社
(出典:ウィキペディア)

ということで、“東インド会社”とは、アジア地域との貿易独占権を与えられた特許会社ということですね。その“東インド会社”は、当時、主に“イギリス東インド会社”や“オランダ東インド会社”、“フランス東インド会社”が大きな力を持っていました。では、“イギリス東インド会社”の説明を見てみましょう。

イギリス東インド会社
イギリス東インド会社(イギリスひがしインドがいしゃ、英: East India Company(EIC))は、アジア貿易を目的に設立された、イギリスの勅許会社である。アジア貿易の独占権を認められ、イングランド銀行から貸付を受けながら、17世紀から19世紀半ばにかけてアジア各地の植民地経営や交易に従事した。
当初は香辛料貿易を主業務としたが、次第にインドに行政組織を構築し、徴税や通貨発行を行い、法律を作成して施行し、軍隊を保有して反乱鎮圧や他国との戦争を行う、インドの植民地統治機関へと変貌していった。セポイの乱(インド大反乱)の後、インドの統治権をイギリス王室に譲渡し、1858年に解散した。

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紋章(1698年)
(出典:ウィキペディア)

ということで、“イギリス東インド会社”とは、アジア貿易を目的に設立されたイギリスの勅許会社ということですね。ここで“勅許会社”の意味も見ておきましょう。

勅許会社
勅許会社(ちょっきょがいしゃ、英: Chartered company)は特許会社(とっきょがいしゃ)とも呼ばれ、主にイギリス・オランダなどの西欧諸国で国王・女王の勅許または国家行政の特別許可状をもらい設立された貿易を主とする会社で、特に植民地獲得への貿易、植民地の経済支配の目的で作られ、そうした経済活動はリスクが大きかったので、会社設立の見返りとして経済貿易に関する独占権を与えられたもの。イギリス東インド会社、オランダ東インド会社などがある。
(出典:ウィキペディア)

“勅許会社”とは、“イギリス・オランダなどの西欧諸国で国王・女王の勅許または国家行政の特別許可状をもらい設立された貿易を主とする会社”のことで、明らかに“植民地獲得への貿易、植民地の経済支配の目的で作られ”と説明されていますね。あと、改めて“植民地”の意味も見ておきましょう。

植民地
植民地(しょくみんち、殖民地とも)とは、国外に移住者が移り住み、当事国政府の支配下にある領土のことで統治領(とうちりょう)とも呼ばれる。
古代史にはフェニキアや古代ギリシアにも見られるが多くは植民元との関係は維持しつつ独立した体制となっており、侵略によって獲得した海外領土の類型は古代ローマに見られる。近年はヴェネチアなどが行った東地中海における植民地経営をそれ以降の植民地支配と連続した流れと考える向きもある。
以下では16世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が侵略によって獲得した海外領土を主として扱う。近現代においては、本国政府の憲法や諸法令が原則として施行されず、本国と異なる法的地位にあり、本国に従属する領土を植民地という。
また、植民地に対して従属させて、それらを所有している本国のことは「宗主国」と呼ばれる。
(出典:ウィキペディア)

“植民地”とは、“国外に移住者が移り住み、当事国政府の支配下にある領土のこと”で、ここでも明らかに“16世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が侵略によって獲得した海外領土を主として扱う”と書かれてありますね。

ということで、“イギリス東インド会社”とは、侵略によって獲得した海外領土(植民地)への貿易、植民地の経済支配の目的で作られた会社ということですね。表向きには“アジア貿易を目的に設立されたイギリスの勅許会社”としながらも、実際には“侵略によって獲得した海外領土(植民地)への貿易、植民地の経済支配の目的で作られた会社”ということで、現在の常識で考えると、とんでもない会社であることは分かりますよね。尚、その他の“オランダ東インド会社”や“フランス東インド会社”も同じようなものです。


(2)貿易の良し悪し

 貿易とは、1-1.貿易取引で、次のように紹介しました。

 そもそも“貿易取引(ぼうえきとりひき)”とはどういう意味でしょうか? 「今さら貿易取引なんて……」という声も聞こえなくもありませんが、改めてその言葉の意味を見てみましょう。尚、”貿易取引”は省略して“貿易”と呼ぶ場合もあります。

貿易
 貿易(ぼうえき、英: international trade、英: trade)とは、ある国(またはそれに準ずる地域)と別の国(同)との間で行なわれる商品の売買のことをいう。商品を外国に対して送り出す取引を輸出、外国から導入する取引を輸入という。通常は、形のある商品(財貨)の取引を指すが、サービス貿易や技術貿易のように無形物の取引を含める場合もある。
(出典:ウィキペディア ”貿易”)

ということで、“貿易取引(貿易)”とは、“ある国(又はそれに準ずる地域)と別の国(又はそれに準ずる地域)との間で行なわれる商品の売買“ということですね。もう少し詳しく言うと、”ある国の売手と別の国の買手との間で行われる物品売買”ということですね。それをイメージ図にしてみると、次のようになります。

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実際には、ある国の売手と別の国の買手との間で物品の売買契約を結びその契約通りに取引を行うことになりますが、それを平たい言葉で言うと、ある国の売手と別の国の買手との間でモノの売り買いの約束をしてその約束通りに事を進めることになりますね。それは、例えるなら、次のような商店街での八百屋のおじさんと買い物に来た奥さんとのやりとりのようなものです。

  • 八百屋:へぃ、らっしゃい! 何にしやしょう?
  • 奥さん:今日は旬の野菜が欲しいんだけど。。。
  • 八百屋:それなら、きゅうりやナスが旬でお買い得ですよ。きゅうりが150円で、ナスが200円。
  • 奥さん:じゃあ、両方買うから300円にならない?
  • 八百屋:いゃ~奥さん、買い方が上手いですな。オッケー、300円にしとこう!
  • 奥さん:やったー、はい、300円!

というふうに、八百屋のおじさんと買い物に来た奥さんとの間で、“両方買うから300円 → オッケー”と約束をしてその約束通りに事を進めていますが、同じようにモノの売り買いの約束をして約束通りに事を進めるのを、ある国の売手と別の国の買手との間で行うことを“貿易取引”と言います。

貿易とは、平たい言葉で言うと、ある国の売手と別の国の買手との間でモノの売り買いの約束をしてその約束通りに事を進めることですね。尚、記録によると、貿易は紀元前よりあったとされ、貨幣がまだない時代には、物々交換による交易がなされていたと言われています。更に、現在のように国としてのまとまりや国境等が明確ではありませんでしたので、ある民族等の集団と別の民族等の集団との間でなされていたとも言われています。ということで、貿易のはじまりは、平たい言葉で言うと、ある民族等の集団と別の民族等の集団との間でなされる物々交換による交易からはじまった言うことができるでしょう。尚、交易とは、“商品交換,いわゆる貿易と同義であるが,貨幣を用いない物々交換を含むか,ないしは物々交換に重点をおいた語として用いられる場合が多い(ブリタニカ国際大百科事典)。”とされています。

そのような物々交換による交易や、物と貨幣の交換による貿易は、基本的には、双方の需要と供給を満たすため、双方にとって利点がありいわゆる“Win-Win”なものです。尚、そのように聞くと“貿易は良いもの”と思う人もあるかと思いますが、貿易という行為そのものに良し悪しはありません。貿易を行う者の目的の良し悪しにより、その貿易が良いものになったり悪いものになったりします。最近で言う“スマホ(スマートフォン)”のようなものですね。最近のスマホは高性能で一台あればそれだけで仕事ができるぐらいの優れものと言われますが、子供が持つとたちまち“眼が悪くなる”だの“頭が悪くなる”だの“イジメの温床になる”だの様々に悪い言い方をされます。スマホ自体はただのコミュニケーションツールであり良くも悪くもないのですが、使う人の目的によって良いものにも悪いものにもなってしまいます。同じように、貿易自体はただの交易手段であり良くも悪くもなく、行う人の目的によって良いものにも悪いものにもなってしまいます。


(3)貿易の仕組みの基礎

 人類の長い歴史の中には、良くも悪くも様々な貿易がなされていたことは史実より明らかですが、近代から現代の貿易の仕組みの基礎となったのは、やはり、“16世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が植民地の経済支配の目的で行った貿易とされています。それに代表されるのが”奴隷貿易“や”香辛料貿易”、“アヘン貿易”です。では、それぞれの特徴を見てみましょう。

まずは、“奴隷貿易”について。

奴隷貿易
奴隷貿易(どれいぼうえき、英: slave trade)とは、国家間で奴隷を取引の目的物とする貿易である。
(中略)
概要
大航海時代に、15世紀から19世紀の前半まで、とりわけ16世紀から18世紀の時期に、主にヨーロッパ(スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、デンマーク、 スウェーデン、アメリカ州を含むヨーロッパ系植民者が関わり)とアフリカとアメリカ大陸を結んで、その後約3世紀にわたってアフリカ原住民を対象として展開され、西インドのプランテーション経営に必要な労働力となった(→三角貿易)。供給源となったアフリカが西欧諸国を中心とした世界経済システムの外にあった期間は、経済圏外からの効果的な労働力供給手段として機能したが、地域の人的資源が急激に枯渇してしまい、それに伴う奴隷の卸売り価格の上昇、そして需要元である南北アメリカの農業の生産量増大による産物の価格低下により、奴隷貿易は次第に有益とは見なされなくなり縮小に向かった。その後人道的あるいは産業的見地からの反対を受け、1807年にイギリスにて奴隷貿易は禁止された。
(出典:ウィキペディア)

ということで、“奴隷貿易”とは、“国家間で奴隷を取引の目的物とする貿易”であり、“三角貿易”とも言われています。“三角貿易”につても見ておきましょう。

大西洋三角貿易
欧州、西アフリカ、西インド・北米の三角貿易(奴隷貿易)
砂糖・銃・奴隷の三角貿易
三角形の頂点にあたる地域は、ヨーロッパ・西アフリカ・西インド諸島の3地域。辺にあたる貿易ルートはヨーロッパの船による一方通行となっており、また、特定の海流に乗っている。
(中略)
17世紀から18世紀にかけて、イギリスをはじめとするヨーロッパでは喫茶の風習が広まり、砂糖の需要が急激に高まった。それに伴い、砂糖を生産する西インド諸島およびブラジル北東部などでは労働力が必要となった。
こうした状況の下で、ヨーロッパから出航した船は、カナリア海流に乗って西アフリカへ繊維製品・ラム酒・武器を運んだ。輸出された武器は対立するグループ間へ供与され、捕虜(奴隷)の確保を促すこととなった。それらの品物と交換で得た奴隷を積み込み、南赤道海流に乗って西インド諸島やブラジル(ブラジル南東部へはブラジル海流)へと向かい、交換で砂糖を得て、メキシコ湾流と北大西洋海流に乗って本国へ戻った(奴隷貿易)。こうして、ヨーロッパ→西アフリカ→西インド諸島→ヨーロッパという一筆書きの航路が成立し、「三角貿易」と言われた。奴隷の一部はアメリカ合衆国南部へと輸出され、多くは綿花のプランテーションで働かされることとなった。綿花はイギリスの織物工場へ輸出され、産業革命の基盤になったとされている。貿易の平均的な利益率は10%-30%といわれている。
(出典:ウィキペディア)

ここで言う“三角貿易”とは、ヨーロッパの産品とアフリカの奴隷を交換し、アフリカの奴隷と西インド諸島の砂糖とを交換し、その砂糖をヨーロッパへ持ち帰るという三角の航路となる貿易のことですね。交易の対象となる物品が“奴隷”であるという点は、現在の常識で考えると、とんでもない貿易であることは分かりますよね。

では、“香辛料貿易”について。

香辛料貿易
香辛料貿易(こうしんりょうぼうえき)は、香辛料、香、ハーブ、薬物及びアヘンなどを対象とした、古くから行われていた貿易(交易)のことである。
(中略)
大航海時代に入ると貿易は一変する。香辛料貿易(特にコショウ)は、大航海時代を通してヨーロッパの貿易商たちの主要な活動となった。1498年にヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰経由によるヨーロッパ-インド洋航路を発見し、新しい通商航路を開拓すると、ヨーロッパ人が直接インド洋始め東洋に乗り込んでいった。特にポルトガルはいわゆるポルトガル海上帝国を築き、当時の交易体制を主導した。
この大航海時代の貿易(中世の終わりから近世にかけての世界経済)は、東洋におけるヨーロッパ優位の時代を作った。国家は貿易の支配を目指して香辛料交易路を巡って戦ったが、それは例えばベンガル湾航路のように、様々な文化の交流、あるいは文化間の貿易取引を橋渡しする役割も持った。だが、ヨーロッパ支配地は発展するのが遅れた。ポルトガルは、自身の影響下にあった古代のルートや港湾、支配の難しい国を用いる交易路に制限や限定を行った。オランダは、(時間はかかるが)インドネシアのスンダ海峡と喜望峰を直接結ぶ遠洋航路を開拓してポルトガルの支配する海域を避け、これら多くの問題を回避した。

ということで、“香辛料貿易”とは、“香辛料、香、ハーブ、薬物及びアヘンなどを対象とした、古くから行われていた貿易(交易)のこと”で、香辛料貿易(特にコショウ)は、大航海時代を通してヨーロッパの貿易商たちの主要な活動となり、この大航海時代の貿易により、東洋におけるヨーロッパ優位の時代が作られたということですね。やはり、とんでもない貿易ですよね。

最後に、“アヘン貿易”について。

アヘン貿易
当時のイギリスは、茶、陶磁器、絹を大量に清から輸入していた。一方、イギリスから清へ輸出されるものは時計や望遠鏡のような富裕層向けの物品はあったものの、大量に輸出可能な製品が存在しなかったうえ、イギリスの大幅な輸入超過であった。イギリスは産業革命による資本蓄積やアメリカ独立戦争の戦費確保のため、銀の国外流出を抑制する政策をとった。そのためイギリスは植民地のインドで栽培した麻薬であるアヘンを清に密輸出する事で超過分を相殺し、三角貿易を整えることとなった。
中国の明代末期からアヘン吸引の習慣が広まり、清代の1796年(嘉慶元年)にアヘン輸入禁止となる。以降19世紀に入ってからも何度となく禁止令が発せられたが、アヘンの密輸入は止まず、国内産アヘンの取り締まりも効果がなかったので、清国内にアヘン吸引の悪弊が広まっていき、健康を害する者が多くなり、風紀も退廃していった。また、人口が18世紀以降急増したことに伴い、民度が低下し、自暴自棄の下層民が増えたこともそれを助長させた。アヘンの代金は銀で決済したことから、アヘンの輸入量増加により貿易収支が逆転、清国内の銀保有量が激減し後述のとおり銀の高騰を招いた。
(出典:ウィキペディア)

ということで、“アヘン貿易”とは、“イギリスの貿易赤字から植民地のインドで栽培した麻薬であるアヘンを清に密輸出する事で超過分を相殺するという三角貿易のこと”ですね。貿易赤字だからと言って麻薬を密輸して補填するなんて、やはり、とんでもない貿易ですよね。

近代から現代の貿易の仕組みの基礎となったのは、これら”奴隷貿易“や”香辛料貿易”、“アヘン貿易”等の「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が植民地の経済支配の目的で行った貿易であります。

現代ではそのような悪い目的の貿易はなくなり、WTO(World Trade Organization、世界貿易機関)が差別のない自由貿易を促進しているとも言われていますが、昨今で言えば、米中貿易戦争に始まり、日本の韓国への輸出規制の強化や、依然としてあるTPPのISD(ISDS)条項等をみると、”奴隷貿易“や”香辛料貿易”、“アヘン貿易”等は昔の出来事ではないような気がします。そのように考えた場合、やはり、近代から現代の貿易の仕組みの基礎となったのは、これら”奴隷貿易“や”香辛料貿易”、“アヘン貿易”等の「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が植民地の経済支配の目的で行った貿易であることは間違いないでしょう。


[ まとめ ]
  • “東インド会社”とは、アジア地域との貿易独占権を与えられた特許会社。
    “イギリス東インド会社”とは、アジア貿易を目的に設立されたイギリスの勅許会社。
    “イギリス東インド会社”とは、侵略によって獲得した海外領土(植民地)への貿易、植民地の経済支配の目的で作られた会社。
  • 貿易のはじまりは、平たい言葉で言うと、ある民族等の集団と別の民族等の集団との間でなされる物々交換による交易からはじまったと言うことができる。
    貿易自体はただの交易手段であり良くも悪くもなく、行う人の目的によって良いものにも悪いものにもなってしまう。
  • 近代から現代の貿易の仕組みの基礎となったのは、やはり、“16世紀に始まるいわゆる「大航海時代」以降ヨーロッパ各国が植民地の経済支配の目的で行った貿易とされている。


以上